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展覧会、講演、公演などについての覚え書き

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ドミニク・ド・クルセル講演会「傷痕の身体――キリスト教信仰における苦痛と血」(京都大学大学院人間・環境学研究科、2005年11月4日)
フランスの中世研究者ドミニク・ド・クルセルによる、西欧のキリスト教文化における「聖痕」の位置づけをめぐる講演会。

傷痕、しるし、痕跡は、それ自体として生じるものではなく、あくまでも身体への暴力への結果として生みだされる。だが、それによってその傷痕はさまざまな意味を生みだす。キリストの身体に加えられた暴力、その傷痕は、「聖痕」というかたちで西欧文化に大きく影響することとなった。西欧で最初に聖痕を受けたとされるアッシジの聖フランチェスコ以来(実はそれ以前にも聖痕を受けた人の記録は残っているようだが)、シエナの聖カテリーナを経て、17世紀から聖痕を受けた人が急速に増えていく。時おりしも人体解剖によって医学が発達しはじめる時期。かつてから聖痕を受けた人物は、一方で守護者や聖人に祭り上げられ、また他方で監禁や隔離されてきた。その後19世紀ころには、聖痕を受けた人(その多くは女性)は、一方ではあいかわらず聖者とされることもありつつも、また他方では「病人」として隔離され収容される。それはあたかも、精神分析が言うところの「もの」と「他者」とのはざまに「聖痕」があり、そのあいだを絶えず揺れ動いているかのようだ、という。

質疑応答のなかで触れられたが、ビザンティンでは、身体への暴力、苦痛、血といった「聖痕」に関わる主題群はほとんど前景化することはない(ただし、聖痕を受けた人の記録は残っているようだ)。死や苦痛が(そして神秘体験が)前景化されるのは西欧でのこと、そしてやはり17世紀に心身二元論が成立し、身体を縮減することが精神(というか魂)の解放を意味すると考えられるようになりはじめてからのことだ、という(ただ、苦痛や傷痕への関心は15世紀くらいから急速に増え始めていたように記憶しているが)。

ほかにも少しだけキリスト教文化における「触れること」の問題系との関わりが示唆されたが、それよりも面白かったのは、「聖痕」と「イミタチオ・デイ」との関わりだろう。キリストの身体の傷痕を模倣する「聖痕」は、聖痕を受けた人をまさしくキリストの「似姿=イメージ」とする。つまり「聖痕」とは神を複製するものなのである。もし、複製技術が近代を告げるものだとすれば、アッシジの聖フランチェスコとともに近代が始まったとも言えるかもしれない、ド・クルセルは言う(とはいえ、なかば冗談で言っているようでもあったが)。神の「模倣」と「複製」。

(2005年11月4日)

『杉本博司、時間の終わり』展森美術館、2005年9月17日〜1月9日)
あたかも実験を行うかのごとく、明確な構想のもと、現実と虚構のはざまにあるかのような写真を撮る杉本博司の、1975年から2005年までの代表的なシリーズを集めた大規模な展覧会。

展示されている写真群は、そのモノクロの美しいテクスチュアもさることながら、現実と虚構、視覚と思考とが渾然となっていることでも楽しませる。ジオラマや蝋人形は、写真に撮られることで、嘘くささを残しながらも、笑って済ませるだけに収まりきらない生々しい質感を獲得する。写真という変換の不可思議さ。海、影、映画もまた、肌理の細かいテクスチュアへと還元されつつも、どこかしら不可思議な「現実性」とでも言うべきものの感覚を残す。これは決して「それはかつてあった」の力ではない。むしろ、写真の滑らかなテクスチュアそれ自体の効果であるように感じる。少しばかり金属的な光沢と、どこかしらゼリー的な質感、ひじょうに細かい表面の凹凸。人間の皮膚にも似た写真の表面。

(2005年10月10日)

『マシュー・バーニー、拘束のドローイング』展金沢21世紀美術館、2005年7月2日〜8月25日)
身体や運動について特異な視点から切り込む作品をつくりだしている現代アメリカの芸術家マシュー・バーニーによる《拘束のドローイング》シリーズの展覧会。

身体を拘束しつつドローイングをおこなう最初期の作品《拘束のドローイング1》や、サテュロスなどの想像上の生物に扮した映像作品《拘束のドローイング7》、そして「捕鯨」と「茶道」から着想を得たという新作の映像作品《拘束のドローイング9》をもとにした一連のインスタレーション、などが展示される。その展示の全体を、解体された鯨の身体(脂肪、背骨、竜涎香)が結びつけ、実際に展示を鑑賞する順路とは別の経路を示唆する。

展示のあちこちに見られる脂肪や油脂は、奇妙な生々しさの印象を与えるとともに、あたかも筋肉に対する異物として、運動を拘束するものの象徴のように思えてしまう。脂肪と筋肉の混合物としての身体。ゴムチューブによって床に繋ぎ止められつつ壁に描かれたドローイング、トランポリンを使って天井に描かれたドローイング、不安定な足場をよじ登りつつ高さ12メートルの壁に描かれたドローイング、……、これらの不器用な線は、それを描いた身体運動に送り返され、それを経て見られることではじめて意味をもつ。そのとき、「身体が動く」というあたりまえことが不思議な感覚とともに捉えなおされる。

(2005年8月19日)

『ジェームズ・アンソール』展三重県立美術館、2005年6月18日〜7月24日)
「仮面の画家」として知られる近代ベルギーの特異な画家ジェームズ・アンソール(1860-1949)の初期から晩年までの作品を集めた展覧会。

初期の写実主義の頃の絵画は、いわゆる「線」に対する反抗としての「色」が前面に押しだされている(とはいえ、全体的には褐色の暗い画面なのだが)、という。そのアンソールの絵画がいっとき、同時代の印象主義に接近するのは当然の理だろう(とはいえ、フランスの印象主義のように当時の光学理論を応用したりはしていないが)。だが、そうした写実主義的な絵画にしても、印象主義的な絵画にしても、画面がいささか単調であるという印象は否めないように思う。この初期の絵画では、そうした油彩画よりもコンテや鉛筆による素描のほうがはるかに面白く感じられる。おそらくこの時点ですでに、アンソールは「色」よりも「線」にその素質を発揮していたのではないだろうか、などと勝手な印象を抱く。やはりアンソールの真骨頂は、その後のグロテスクで奇怪に蠢く「線」なのだろう。

グロテスクでありつつ、どこかしらコミカルでもある仮面や骸骨たち。ゴヤから受け継がれたかのような諷刺と諧謔。版画作品の小さな画面のうちで蠢く線。とはいえ、アンソールはそうした「線」を経て、「色」にも独創性を見せるようになる。蛍光色やパステルカラーが溢れる晩年の作品は、骸骨や仮面などの不気味さをどこまでも軽やかに明るいものにしている。この軽やかさと明るさこそが、「線」でも「色」でもなく「光」の画家たらんとしていたアンソールなりの「光」なのだろうか。そんな根拠のない考えが頭をふとよぎる。それにしても、アンソールのほかにいったい誰がキリスト磔刑の十字架をショッキング・ピンクで描くだろう。

(2005年7月24日)

カトリーヌ・マラブー講演会「ふたつのメタモルフォーゼの間のハイデッガー」(京都大学大学院人間・環境学研究科、2005年7月16日)
フランスの哲学者カトリーヌ・マラブーによる、マルティン・ハイデガーにおける「メタモルフォーゼ」概念についての講演。

あるものが別のものに変容するとき、そこにはつねに「連続」と「断絶」がともに孕まれている。ハイデガーにおいては、「連続」としてのメタモルフォーゼは同一性の完遂としての形而上学それ自体であり、その同一性の完遂としてのメタモルフォーゼをさらにメタモルフォーズさせるのが「断絶」としてのメタモルフォーゼである。こうした視点からマラブーは、ハイデガーのメタモルフォーゼ概念を捉えなおし、ハイデガーの形而上学を超克する試みを辿りなおしていく。そして最後に、その行き着く先が第三のメタモルフォーゼであり、ニーチェが語るところの「幼年期へのメタモルフォーゼ」である、ということが提起される。

変容(変化、移動、運動…)というありふれた事態を、「連続」と「断絶」というふたつの局面に分解して対比させ(さらには対立させ)、そこにアポリアを見いだす、という(きわめて脱構築的な?)手法は、個人的には、いわば現代における「ゼノンのパラドクス」ではないのかと思ってしまうが、そこからマラブーはさらに「幼年期」の問題へと接続していく。変容の到達点(出発点ではなく)としての幼年期。マラブー自身はこの「幼年期」に、いわば「自己再生産する有機体」というオートポイエーシス的な生命のイメージを見いだしているようだ。

とはいえ、到達点においてこそ、はじまりの、開始の、端緒の形象があらわれるというこのパラドクシカルなマラブーの主張(おそらく現在準備中というジクムント・フロイトについての論考においてさらに展開されるのだろう)の射程は、もちろんすぐには把握できない。そう主張できる根拠も含めて、検討する必要があるだろう。

(2005年7月16日)

ギー・ドゥボール、映画《スペクタクルの社会》
アンテルナショナル・シチュアシオニストの理論的主柱ギー・ドゥボールがつくった映画《スペクタクルの社会》。

当時のニュース映像、別の映画の一コマ、広告写真やピンナップなどが脈絡なくモンタージュされていくなかを、ドゥボール(おそらく)の声がみずからのテクストを淡々と読み上げていく。たんに自分のテクストに映像をつけてみただけのような映画だが、それでも90分ほどのあいだ見ていられるのは、意味のない映像が思いのほか面白く感じられるからだろう(もちろん、当時の興味深い記録映像として見ることも可能なため、そうした関心にもとづいて魅力を見いだす場合もあるだろうが)。

たんなる動くイメージ。ジョルジョ・アガンベンは、映画の超越論的条件を「モンタージュ」つまり「反復」と「停止」と捉え、ドゥボールの映画がその「反復」と「停止」をそのままあらわにした、としている。そこからアガンベンは、「反復」と「停止」によってイメージは「メシア的な時間性」をあらわにし、「イメージなき」イメージになる(あるいはそうでなければ「広告」に回収されてしまう)のだというが、ほんとうにドゥボールの映画のイメージがそのような「目的なき手段」「静止した弁証法」としてのイメージをあらわにしているのかどうかはおくとしても(たしかにイメージに脈絡はないが、とくにピンナップなどはかなり両義的で、いわゆる「異化」がなされているとは言いがたい気がする)、たんなるイメージがそれ自体として魅力をもつことは否定できないように思う。この魅力は「動き」から引きだされているようにも感じられる(アガンベンの言うように、動きのないイメージ、歴史のないイメージは存在しないのではないだろうか)が、このようにイメージそれ自体のうちに魅力を見ることは、イメージのアニミスムだろうか。

(2005年6月9日)

合田正人講演会「ラ・ボルド・クリニックと三人の精神科医トスケル、ウリ、ガタリ」(京都大学大学院人間・環境学研究科、2005年4月23日)
フランスの制度論的精神医学を代表する三人、フランソワ・トスケル、ジャン・ウリ、フェリックス・ガタリを、「ゲシュタルト」概念の動態化を軸に考察した講演会。

「ゲシュタルト、構造、システムをより動態的に捉えようとする思考」をひとつのモチーフに、三人の思考の照応や差異をときに余所へ迂回しつつたどっていくことで、多くの問題が浮かびあがっていく。講演全体を通してのなにか明確な主張といったものは読み取ることができなかったが、それはおそらくそうした多様な問題を浮かびあがらせていくことをこそ狙っていたからだろう。

そうした問題群のなかでとりわけ問われたのは、ひとつには、ゲシュタルト、構造、システムを動態化するための条件だったように思う。講演後の質問にあったように、システム理論においては、システムの要素の自己再生産の速度を上げることがシステムの動態化につながる(だからこそニクラス・ルーマンは、社会システムの要素を「人間」ではなく、それよりもはるかに再生産の速い「コミュニケーション」と捉える)。三人のなかでもウリは、アンリ・マルディネを参照しつつ、「空虚」や「開かれ」をその条件と見ているようだ(このことばの内実については、やや不明確で漠然としているが)。今回の質疑応答ではいささかすれ違いのままに終わってしまった感があるが、システム論の知見とウリの思考とはどう切り結ぶのだろうか。

ところで、ウリやマルディネがゲシュタルトを「リズム」と捉えたことは、ジョルジョ・アガンベンが『中身のない人間』のなかで構造のことを「リズム」として捉えたことを思い起こさせる。もちろんアガンベンは、構造を「リズム」のほかに「数」としても捉えられていることを示し、その「数」と「リズム」のあいだに矛盾を見て、それら両者を混同している構造主義を批判しているのであり、ウリやマルディネの議論とはだいぶ文脈が異なっているだろうが、それでも構造とリズムの同一視が思っていたよりも多く見られることがわかり、興味を惹かれる。

(2005年4月23日)

『荒川修作を解読する』展名古屋市美術館、2005年3月19日〜5月8日)
荒川修作による、初期のオブジェから図式絵画を経て建築に移行する直前までの作品を「解読する」ための展覧会。

作品「解読」のための手引きとして、ひじょうに丁寧なキャプション(展覧会カタログと同じもの)が各展示作品に添えられており、作品の意味(というより作者の意図)の読み解きをじっくりと試みることができる。こうした解読作業はなかなか集中力が持続せず、展覧会会場ではついつい億劫になりがちだが、展示作品も全部で16点と少なめなので、ひとつひとつをじっくりと解読していってもそれほど苦にはならない。作品をコンテクストに位置づけ、画面に描かれたことばや記号、図形などの典拠や意味をもとに作品を解読していく作業は、ジグソーパズルにも似る。とはいえ逆にこの解読作業があきらかにしているのは、こうした丁寧なキャプションというパラテクストがなければ「作者が込めた意味」なるものは伝わらない、ということかもしれない。それはなにも荒川の作品にかぎったことではないし、そもそも作品と作者は別の存在なのだから、当たり前といえば当たり前のことなのだが。

それにしても展示されている作品は、「ことばのもつ喚起力」をあらためて印象づける。初期はデュシャン的な図形が画面にあったが、やがてそれが消え、ことばとグラフィカルな線が残る。それによって逆に喚起力が増すのはなぜだろうか。その喚起力への注目は、やがて「体験」の重視へと移行し、建築(的)作品となっていく。建築になる直前の作品《「何」を繰り返すこと。置き換えること。大地、いや、しかし、それは多くの瞬間的なもの。変ることなく不連続な世界に立ち返ること。この過程が問題だ。》(1987-88)では、色や写真付きの傾いたパネルのうえで壁面に掛かった絵画を見るようになっている。不安定な足場のうえで壁面を見ていると、通常の美術館のニュートラルな空間で作品を見ることについてあらためて考えさせられる。

(2005年3月23日)

『アルテ・ポーヴェラ』展豊田市美術館、2005年3月19日〜6月12日)
批評家ジェルマーノ・チェラントによって「アルテ・ポーヴェラ=貧しい芸術」と名づけられた1960年代のイタリアの芸術をまとめて概観する展覧会。

壁の高くに大きな石を括りつけたジョヴァンニ・アンセルモ《無題》はいまにも落ちてきそうで、石の重量感がこちらに強く切迫してくる。年輪に沿って木に木を彫ったジュゼッペ・ペノーネの《12メートルの木》や《右にねじれた木》は、木が木から生えてきたかのような、あるいは木のなかに木が埋もれていたかのような錯覚を覚えさせる。ミケランジェロ・ピストレットの鏡絵画のシリーズでは、たえず変化する鏡像と、鏡面に焼き付けられた変化しない図像との対比が仄かな違和感を生む。

「貧しい」という形容は、作品の素材が簡素だからというよりもむしろ、ものを「もの」として(「観念」や「象徴」としてではなく)提示する事態のことを、もともとは示していたという。もちろん、展示された60点ほどの作品すべてをひとつの観点に還元することはできないが、その多くは「もの」がもつ特性(マリオ・ペルニオーラが言うところの「もの性」?)を強く印象づける。「もの」を、観念や意図に還元してしまうこともなく、かといって剥き出しの物質性に還元してしまうこともなく、「もの」として提示する作品を見ると、「もの」はただの物質ではないし、ただの観念でもないし、ただのイメージでもないことをあらためて考えさせられる。アルテ・ポーヴェラにアニミスム(ここではかなり乱暴に、もののなかに生命やエネルギーなどが孕まれているとする思考形態全般を指しているが)を見いだしてしまいたい気にさせられるが、同時にどこかでそれに対する抵抗も感じてしまうのは、こうした「もの性」の複合性のためかもしれない。

それとは別に、展覧会図録をめくっていると、アルテ・ポーヴェラの作品はいわゆる「ホワイト・ボックス」よりも、もっと雑多なものが入り交じった日常空間(というのも曖昧なことばだが)に展示されてこそ映えるのではないかという気がしてくる。とくにジルベルト・ゾリオの作品は、図版にあるような天井画を背景にして一度見てみたいと思う。

(2005年3月18日)

田中純講演会「ゲニウス・ロキと都市の徴候学」(京都大学大学院人間・環境学研究科、2005年2月21日)
アルド・ロッシの建築論・都市論と〈ゲニウス・ロキ(地霊)〉概念を軸に、都市論の方法論的な問題を考察した講演会。

まずは導入として、「現在」に回収しきれず、微弱な「未来」や「過去」を孕んだものとしての「徴候」という概念を、中井久夫『徴候・記憶・外傷』(みすず書房、2004年)を通して概観する。現在のなかに未来や過去を読み込むという在り方は、「夢」や「追憶」においてより顕著にあらわれるという。この点においてヴァルター・ベンヤミンが参照されるとともに、「伝記」という方法を建築論・都市論と結びつけたアルド・ロッシへと議論が接続する。「伝記」としての建築や都市は、過去と未来によって侵蝕され、過去が未来として発見される。複数の記憶のモンタージュとしての都市。

けれども、こうした「記憶」は誰のものなのだろうか。この点がその後の議論の的になったが、そこには暗黙のうちに〈個人/集団〉という二項対立がもちこまれてしまい、議論が曖昧になってしてしまった。というのも、この〈個人/集団〉という対概念のもとでは、「記憶」という概念は否定神学的にしか語ることができないからだ。ジャック・ランシエールが「集団に記憶はなく、記憶の仕掛けがあるだけだ」と言ったように、安易に集団の記憶というものを前提することはできない。集団の記憶という議論はすぐさま「集合的無意識」なるあやしげな理念へと接続してしまう。かといって、記憶を個人のうちにひきとどめることはできない。記憶として都市(あるいは都市としての記憶)は個人の所産ではありえず、記憶はつねに個人から溢れでるからだ。

むしろここでは、誰のものでもない記憶というものを考えるべきではないだろうか。個人の内部にも、集団の内部にも固定されていない記憶。マッシモ・カッチャーリやマリオ・ペルニオーラが言うような「憑依」や「マニア(狂気)」としての記憶というのは、こうしたニュアンスをもっているように思う(もちろん、カッチャーリとペルニオーラとでは、そのニュアンスは微妙に異なるのだが)。とはいえ、その内実はいかなるものなのだろうか。その糸口は、今回の講演のなかで触れられたピエール・クロソウスキーの「反復」という概念にあるかもしれない。反復されるものは、誰かのものであることを逸脱するのだから。反復されたものは、誰のものでもないのだから。とはいえ、残念ながらこれは、まだ漠然として曖昧な印象の域をでていない。

〈ゲニウス・ロキ〉という概念にも、この問題は孕まれている。「空間」ではなく「場所」を、という考え方は、一方ですべてを均質に捉える思考への批判となるとともに、他方で「地域性」「土着性」といった悪い意味でのロマン主義的神話に結びついてしまう。むしろ〈ゲニウス・ロキ〉を、場所の内部にある固有性としてではなく思考すること。それには、ひとやものの移動、電気やガスの供給、情報の流通といった「流れ」こそが都市を構成している、という点がひとつの示唆を与えるかもしれない。都市は決してあれやこれやの建造物に還元できない。都市はそうした建造物を通過していく「流れ」であり、「流れ」が滞るなら都市は崩壊する。こうした「流れ」の「偏向」として、〈ゲニウス・ロキ〉を考えることは可能だろうか。あるいは都市という記憶を。

(2005年2月21日)

オノデラユキ写真展国立国際美術館、2005年2月5日〜4月17日)
思いがけない着想と一風変わった撮影テクニックで不可思議な写真の連作を撮影している写真家オノデラユキの展覧会。

黒い地のなかにミニチュアかと勘違いしそうな小さな家がボーっと浮かびあがっていたり、あたかも空飛ぶ円盤のように缶詰が床のうえに浮いていたり、逆光による人物像のシルエットのなかに別さまざまな情景がそれとなくモンタージュされていたり、サッカーの一場面のはずなのにボールがなかったり逆に二個あったりと、写真のはずなのにあまりにも不可思議なモノトーンの光景が続く。不思議な、宙に浮いたイメージ群。

それにしても、こうした写真を見ていると、「写真とは現実の痕跡である」という、いまや広く膾炙した通念があやふやなものに思えてくる。もちろん、たしかに写真は光の痕跡にちがいない。それはピンボケだろうとブレていようと変わりはしない。そう、その意味では、すべての写真は「存在論的に」痕跡である。けれども、だからといってすべての写真が「認識論的に」痕跡であると言えるのだろうか。

そもそも、存在論的に痕跡ではないような事物を見つけるほうが難しいのではないだろうか。ほぼあらゆるものが多かれ少なかれ持続し残存するのだから。あらゆるものは「いくばくかは」痕跡であり、「いくばくかは」表象であり、「いくばくかは」……である。ほぼすべてのものがわずかなりとも痕跡という側面を有している以上、写真を痕跡として語ったところですぐに限界が訪れるだろう。「痕跡」とは別の場所から語る必要がある。

(2005年2月15日)
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