ジョルジュ・ディディ=ユベルマン(Georges DIDI-HUBERMAN, 1953- フランス)
イメージのもつ感情移入や類似性の力、またその錯綜した時間性を、人類学の視点から捉えなおされた現象学や精神分析に依拠しつつ、考察している哲学者・美術史家。
サン=ティティエンヌの生まれ。リヨン大学で哲学と美術史を修めたのち、パリの社会科学高等研究院を出る。その後、コメディ・フランセーズでの劇作やパリ第七大学の教壇などを経て、1990年からは社会科学高等研究院で美術史を講じる。
Ninfa dolorosa, Paris : Gallimard, 2019.
『悲しみのニンファ』
Desirer, désobéir, Paris : Minuit, 2019.
『欲すること、従わないこと』
Aperçues, Paris : Minuit, 2018.
『気づいたこと』
Passer, quoi qu'il en coûte, avec Niki Giannari, Paris : Minuit, 2017.
『なんとしてでも通ること』(ニキ・ジャンナーリとの共著)
À livres ouverts, Paris : INHA, 2017.
『開かれた本に』
Ninfa profunda, Paris : Gallimard, 2017.
『深みのニンファ』
Soulèvement, Paris : Gallimard, 2016.
『蜂起』
Peuples en larmes, peuples en armes, Paris : Minuit, 2016.
『涙にくれる人、武具を取る人』
Sortir du noir, Paris : Minuit, 2016.
『黒から出ること』
Ninfa fluida, Paris : Gallimard, 2015.
『流れるニンファ』
Passés cité par JLG, Paris : Minuit, 2015.
『ジャン=リュック・ゴダールの引用する過去』
Essayer voir, Paris : Minuit, 2014.
『見ようとすること』
Sentir le grisou, Paris : Minuit, 2014.
『坑内ガスを感じること』
Phalènes, Paris : Minuit, 2013.
『蛾』
絵画、写真、映画などを論じた論文集。
Quelle émotion ! Quelle émotion ?, Paris : Bayard Jeunesse, 2013.
『なんという感動、どのような感動』
邦訳「なんという感動! なんという感動?」橋本一径訳、『フォトグラファーズ・ギャラリー・プレス』第13号、2015年、69〜85頁
L'Album de l'art, Paris : Hazan-Musée du Louvre, 2013.
『芸術のアルバム』
Peuples exposés, peuples figurants, Paris : Minuit, 2012.
『さらされた人々、かたどる人々』
Ecorces, Paris : Minuit, 2011.
『樹皮』
Atlas ou le gai savoir inquiet, Paris : Minuit, 2011.
『アトラス、あるいは不気味な喜ばしき知』
邦訳『アトラス、あるいは不安な悦ばしき知』伊藤博明訳、ありな書房、2015年
Remontages du temps subi, Paris : Minuit, 2010.
『受苦の時間の再モンタージュ』
邦訳『受苦の時間の再モンタージュ』森元庸介、松井裕美訳、ありな書房、2017年
Survivance des lucioles, Paris : Minuit, 2009.
『蛍の残存』
抄訳(第二章)「蛍の残存―第2章―」橋本一径訳、『フォトグラファーズ・ギャラリー・プレス』第10号、2011年
Quand les images prennent position, Paris : Minuit, 2009.
『イメージが態度を示すとき』
邦訳『イメージが位置を取るとき』宮下志朗、伊藤博明訳、ありな書房、2016年
L'image ouverte, Paris : Gallimard, 2007.
『開かれたイメージ』
Ex-voto. Image, organe, temps, Paris : Bayard, 2006.
『エクス=ヴォト――イメージ、器官、時間』
Le Danseur des solitudes, Paris : Minuit, 2006.
『孤独の踊り手』
イスラエル・ガルバン論。
Gestes d'air et de pierre, Paris : Minuit, 2005.
『空気と石の身振り』
精神分析家ピエール・フェディダの思考を、「息吹」という観点から絵画や音楽、ダンスなどを往還しつつ論じたもの。
Mouvements de l'air. Étienne-Jules Marey, photographe des fluides (avec Laurent Mannoni), Paris : Gallimard, 2004.
『空気の動き――流体の写真家エティエンヌ=ジュール・マレー』(ローラン・マノーニとの共著)
エティエンヌ=ジュール・マレーによる動体写真の試みを、未来派やシュルレアリスムの写真などにも関連づけつつ、おもにアンリ・ベルクソンの思想との対比や照応を通して考察したもの。
Images malgré tout, Paris : Minuit, 2003.
『イメージ、それでもなお』
戦時中アウシュヴィッツの絶滅収容所内で撮影された四枚の写真をもとに、ことにアウシュヴィッツについて語られる表象不可能性に抗して、表象=イメージを擁護したもの。邦訳『イメージ、それでもなお』橋本一径訳、平凡社、2006年
Ninfa moderna, Paris : Gallimard, 2002.
『近代のニンファ』
ルネサンスの絵画や彫刻から20世紀前半の写真までを通して、落ちゆく布の襞の表象のアナクロニックな変遷を論じたもの。邦訳『ニンファ・モデルナ』森元庸介訳、平凡社、2013年
L'image survivante, Paris : Minuit, 2002.
『残存するイメージ』
美術史家アビ・ヴァールブルクに寄り添いつつ、「残存」や「幽霊」という視点からアナクロニズムに根ざす歴史モデルや時間モデルを構想したもの。邦訳『残存するイメージ』竹内孝宏、水野千依訳、人文書院、2005年
L'Homme qui marchait dans la couleur, Paris : Minuit, 2001.
『色彩のなかを歩んだ人』
ジェームズ・タレル論。
Génie du non-lieu, Paris : Minuit, 2001.
『場もなき精』
クラウディオ・パルミッジャーニの作品について、「不在」を形象化しながらも絶対的な「無」に対して反駁しつづける執拗な「残存」としての「塵」や「灰」、という観点から論じたもの。
Devant le temps, Paris : Minuit, 2000.
『時間をまえにして』
イメージの解釈において同時代のコンテクストを絶対視する方法を過度の単純化であると批判し、イメージがアナクロニックな存在であることを、ベンヤミン、ヴァールブルク、アインシュタインらの議論を軸に考察したもの。邦訳『時間の前で』小野康男、三小田祥久訳、法政大学出版局、2012年
Être crâne, Paris : Minuit, 2000.
『頭蓋であること』
ジュゼッペ・ペノーネの彫刻について、思考と物質とが一致した「頭蓋」という観点から、ポール・リシェ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アルブレヒト・デューラー等と対比させつつ論じたもの。
Ouverir Vénus, Paris : Gallimard, 1999.
『ヴィーナスを開く』
裸体というものがヌードとは異なり、官能性と残酷さに不可分に関わっていることを、ボッティチェリの作品をもとに考察したもの。邦訳『ヴィーナスを開く』宮下志朗、森元庸介訳、白水社、2002年
La Demeure, la souche, Paris : Minuit, 1999.
『住まい、株』
パスカル・コンヴェール論。
Phasmes, Paris : Minuit, 1998.
『ナナフシ』
絵画、写真、映画などを論じた論文集。
L'Étoilement, Paris : Minuit, 1998.
『星形のひび割れ』
シモン・アンタイ論。
L'Empreinte, Paris : Centre Georges Pompidou, 1997; La Ressemblance par contact, Paris : Minuit, 2008.
『刻印』
『接触による類似』(再刊)
刻印、痕跡、類似などが織りなす問題系を、先史時代からオーギュスト・ロダンを経てマルセル・デュシャンにいたるまでの歴史を辿りつつ、考察したもの。
La Ressemblance informe, Paris : Macula, 1995.
『かたちなき類似』
ジョルジュ・バタイユと『ドキュマン』誌について、「かたちなきもの」と「類似」とのパラドクシカルな結びつきに焦点をあてながら論じたもの。
Sant georges et le le Doragon (avec R. Garbetta et M. Morgaine), Paris : Adam Brio, 1994.
『聖ゲオルギウスとドラゴン』
Le Cube et le visage, Paris : Macula, 1992.
『キューブと顔』
アルベルト・ジャコメッティの《キューブ》を「墓碑」という観点から論じ、ジャコメッティのシュルレアリスム期から後期への移行について考察したもの。邦訳『ジャコメッティ キューブと顔』石井直志訳、パルコ出版、1995年
Ce que nous voyons, ce qui nous regarde, Paris : Minuit, 1992.
『わたしたちが見るもの、わたしたちをまなざすもの』
墓石をまえにして経験される不在と現前の鬩ぎあいをミニマル・アートの実践のうちに見いだし、事物を見ることが事物にまなざされることでもあるという両義的な状態をジョイスやカフカの読解を通して考察したもの。
Devant l'image, Paris : Minuit, 1990.
『イメージをまえにして』
邦訳『イメージの前で』江澤健一郎訳、法政大学出版局、2012年
Fra Angelico, Paris : Flammarion, 1990.
『フラ・アンジェリコ』
痕跡と非類似という観点から、フラ・アンジェリコにおける神や受胎告知の表象について論じたもの。邦訳『フラ・アンジェリコ――神秘神学と絵画表現』寺田光徳、平岡洋子訳、平凡社、2001年
La Peinture incarnée, Paris : Minuit, 1985.
『受肉する絵画』
Mémorandum de la peste, Paris : C. Bourgois, 1983.
『ペストをめぐるメモランダム』
Invention de l'hystére, Paris : Macula, 1982.
『ヒステリーの発明』
19世紀末のサルペトリエール病院におけるヒステリー患者の写真について論じたもの。邦訳『アウラ・ヒステリカ』谷川多佳子、和田ゆりえ訳、リブロポート、1990年
そのほかの邦訳論文
「イメージは燃える」橋本一径訳、『フォトグラファーズ・ギャラリー・プレス』第10号、2011年
「イメージ、航跡」森元庸介訳、『痕跡』展カタログ、京都国立近代美術館、2004年
「形なきものをつつむ」小林新樹訳、『言語文化』(明治学院大学言語文化研究所)19号、2002年
「運動してやまぬ知、知としての運動」逸見龍生訳、『人文科学研究』(新潟大学人文学部)第一〇二輯、2000年
「形式的特異性の人類学のために」三宅真紀、赤間啓之訳、『記憶された身体 アビ・ヴァールブルクのイメージの宝庫』展カタログ、国立西洋美術館、1999年
「いかにして類似を引き裂くか」鈴木雅雄訳、『ユリイカ』1997年7月号
インタヴュー
「ジョルジュ・ディディ=ユベルマンに聞く」(橋本一径によるインタヴュー)、『フォトグラファーズ・ギャラリー・プレス』第10号、2011年
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